message テーマ2 想像力をふくらませる 創六 ○○風ガーデン | ||||||||||||||||||||||||
一級建築士・インテリアデザイナー・ガーデンデザイナーの庭づくり講座/ガーデニングデザインメッセージ集 | ||||||||||||||||||||||||
ある雑誌にこんな記事が載っていました。「もうイングリッシュガーデンには飽きた。これからはイタリアガーデンが……」。また、他の雑誌には「新和風が次のブームか」とも。ガーデニングブームの火つけ役としてのイングリッシュガーデンの流行は、もはや終わり? こんな記事が書かれるとたちまち「イングリ」は衰退するのでしょうね。ブームを煽るだけの風潮に悲しさを感じます。 ブームの功罪 ブームになっているものは、多くの人が流行っているからという理由で安心して採用し、物を提供する側も売れるからという理由でどんどん市場に出します。雑誌なども書きたてます。提案する側の人も無難な選択ということで勧めます。それは責めることではありません。消費者が求めているものなのですから。しかしその結果、どの家でも同じような庭になり、それぞれの個性はなくなります。ブームの始まりの頃はトレンディでも、向こう三軒両隣りがみんな一緒という段階になると、おもしろくない。食傷してしまうわけです。そしていったん、オールドファッション(時代遅れ)だというレッテルが貼られると、恥ずかしくさえなってしまうのです。改めて考えるとなぜイングリッシュガーデンに熱を上げたのだろう、一体なんだったんだろう、という気分にさえなってしまうわけです。 私は、当初このブームをとても歓迎したものです。従来型和風の、仕立てものの松やクロガネモチなどで構成する庭づくりは日本の風土に合っていて、見慣れている良さがあるわけですし、神社仏閣や老舗旅館の格式はこの伝統的な庭づくりだからこそでもあります。でも、古くさくて陰気で厭だという方もたくさんおられたわけです。イングリッシュガーデンは、もっと明るくさわやかに、そして花づくりを盛大に楽しみたいという方の希望をかなえるものだったのですね。バラの不変の人気もこのブームを支えました。そして安くて丈夫な花苗やさまざまなアイテムが大量に供給されました。このブームは、新しい庭の楽しみ方を提案し、演出し、道筋をつけたという点では、大いに意味があったわけです。 ところが、そのブームがどうもおかしくなってきたのは、もしかすると小人ちゃんブーム(もうこれも終わりましたね。近所でもあまり見かけなくなりました)からでしょうか。小人ちゃんと白雪姫の置物。グリム童話の世界ですね。あれはドイツの民話です。それとテラコッタのプランター。あれは雰囲気としては日本人が大好きなスペインなどの地中海的な、もっと太陽が明るい地方のイメージがします。イングランドの短い夏とどんより曇った寒い空というイメージと、地中海的な明るいイメージと、森の国ドイツのメルヘンチックなイメージが混在したのです。大人っぽい雰囲気から、日本人好みのかわいらしさが前面に出てきて、何がイングリッシュガーデンなのかわからなくなってきたわけです。 実はイングリッシュガーデンの次はカリフォルニアガーデンが流行るのではないかと、勝手に想像していました。明るい雰囲気はそのままに、もっと洗練されたデザインで、そしてもっと乾いた雰囲気。カントリー調ではないですよ。 イタリアガーデンも同系統ではありますが、もっとモダンにデザインされた、という雰囲気でしょうか。色使いも鮮やかで、囲われた空間のイメージ。ローマの街中にはたくさんの広場がありますが、それを囲む建物の壁は独特のピンク色で、飾られている花も赤いものが多かったように覚えています。都市部の狭小な宅地では適しているかもしれません。 でも私は決してカリフォルニアガーデンやイタリアガーデンを推奨しようと思っているわけではありませんよ。世界中にはそれぞれの地域にふさわしいスタイルがある、と思っただけのことです。 大切なのは「自分流」 実は私は、○○風という捉え方に飽き飽きしています。イングランド風とか、イタリア風とか、アジア風、スペイン風、トロピカル風とか。スタイルの説明には簡単で便利な言い方だとは思うのですが、決して庭づくりの楽しさの本質を表現していませんね。大切なことは自分流の楽しみ方ですし、我流な庭づくりです。自分流の楽しみ方をするときに「○○風」という説明は必要ないわけです。 大切なことは「スタイル」ではなく「テイスト」です。その人の生活感です。大上段な言い方をすれば、その人の生き方のセンスが庭づくりにも発現されると思います。庭づくりは、どこかの国の誰かさんの庭のスタイルを真似て、できた! というものではないのです。その人自身の好みを出さなければ楽しくないですよね。息長く自分の好みに向かって、じっくり自分の手でつくっていくのが庭の楽しみなのです。 日本のイングリッシュガーデンは、イングランドの個人庭園の最近流行したスタイルをベースにしながらも、自分流にいろいろなオブジェを置いたりして好みの雰囲気にしていったというものでした。それなりに個性を表現しようとしていたのです。ただ、その自分なりの個性という部分が、みんなが同じ方向だった。その結果、飽きがきたんですね。 その自分流のセンスをもっと強固なものにするために、野山を散策したらとか、プロが気合いを入れてつくったオフィスビルや大規模マンション、都市公園の造園プランを見に行ったらとか、雑誌を見るにもイメージを固定するために切り抜きをしたらとか、提案しているわけです。 出発点としての○○風 ○○風ガーデンというのは、最初にイメージづくりをするひとつの出発点ではあります。参考にするスタイルをどこからもってくるかという意味であって、決して到達点ではないのです。もしそれが到達点だとしたら、その庭はきれいではあってもその人らしさのない、味気ない庭です。自分のデザインにするために、イメージが固まってきた段階(つまりつくり上げていく段階)では、○○風という言葉はふさわしくないわけです。 蛇足を申し上げると、誰かの庭を見せてもらったときに、バリバリのイングリッシュガーデンですね、なんて言わないようにしましょうね。ぜひ、その人らしさを見つけてあげて、話題にしましょう。 このメッセージは この本に掲載されています。
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