message 「家を建てるとき」編 … 小さく切り取る | |||||
一級建築士・インテリアデザイナー・ガーデンデザイナーの庭づくり講座/ガーデニングデザインメッセージ集 | |||||
大きな窓と白いブランコ。 「あなた」って歌が三十年程前にはやりましたが、大きな窓は幸せの象徴でした。 今も、建築基準法では、採光が取れない部屋は居室としては扱われないなど、窓は大きいほどいいと一般的に思われています。 採光、つまり光を取り入れる、或いは通風の面でも、開口部の位置と大きさは大切なことです。しかし、日本の夏。容赦なく熱線や紫外線が室内に入ってきます。大きな南向きの窓は、深い庇や、すだれを掛ける(あるいはそれらを反射するガラスも開発されています)などの設えが伴っていてこそです。 また、「リビングと一体になった庭」が、キャッチフレーズとして大流行。 「庭と一体になる」というのは、言い換えると「庭あるいはテラスを室内空間と一体的に利用する」ということです。バーンと開け放って連続的な空間を作るということです。 一方、「外に向かって(室内空間を)開く」という言葉もあります。これは庭だけでなく、外、つまり街の環境を(光りや音や空気や景色や、人々の活動のざわめきまでも)自分の居住空間に取り入れようとする意識です。 いわば、社会との関係性を接続状態にしておくということです。この場合も、通常は積極的に開口部を大きくとるということになります。 しかし、庭の景を上手に部屋の中に取り込むとき、そのような大きな開口部が必ずしも必要でしょうか。 * * 「庭の景」を上手に部屋の中に取り込む、あるいは「庭の存在」を室内で「感じる」という視点だけで考えるなら、必ずしも大きな開口が必要なのではありません。 「感じて」いたい庭は、丹精こめたあなたの庭ですよね。 自分の庭の全体を見ていたいと思っても、そうすることで、裏の家の室外機がビリビリと振動しながら横暴に温風を撒き散らしている姿や、無秩序に醜く空を分割して垂れ下がっている多くの電線なども、目に入ってしまってはうれしくありません。 散漫な町の景色の中に、あなたの庭の景が埋もれてしまっていては、あなたの庭だけを慈しむように室内に取り込むということにはならないわけです。もちろん、壁を立てるなどしてそれらを隠す工夫も重要ですが、完全にうまくいく場合の方が稀でしょうね。 開口部で庭の景観を制御する意識を持つことも大事ですよ、ということが言いたいわけです。 つまり、それらの醜いものが見えないような開口部の大きさと位置にするということ。バーンと大きな窓を無造作に作るよりも、小さくてもそこから見える景を計算され尽くした窓。 例えば地窓。和室(とは限りませんが)に座って、ちょうど目線のいくところに低い窓があって、庭の最も近いところの地面や下草や鉢などの景が切り取られます。こういう小さな窓を通してみる景は、眺めるというより、見つめるという感じでしょうか。 庭を室内に取り込んで、手にとるように近くで慈しむという感じ。何気なく見るというより、凝視して、奥行きを感じるというか。この場合の奥行きとは、庭の奥の方であり、高さ方向の広がりですね。 例えば洋室の隅に設けられた縦長のスリット窓。庭の空間の断面を切る取るように、足元の地面から、木々の梢を通して見る空までの空間を切り取って、室内に持ち込む感じ。この場合の奥行きは左右への平面的な広がり感。 * * このように、窓は大きく開放感があって明るいことが絶対的にいいわけではないのです。 景色を眺めるという面でも、小さい窓の方がいいことも多いのです。小さい窓の方が、よけいなものがカットされて、庭を切り取って室内に持ち込み、より身近に手に取るように慈しんで見つめる感覚にすることもできるのです。 とても感覚的なことなのです。 地窓でなくても、雪見障子や吊障子もそういう意図の設えでしょう。 もし、あなたのリビングの窓にロールブラインドが吊るされているのなら、それをぐっと下げた状態で庭の足元を見るときの、庭との親近感が違うことをもう感じておられることでしょう。そしてその方が、庭の奥行き感が強調されることもね。 先日、光物の中でお話した鏡出窓は、今回お話するべきことでしたね。 |
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